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日本寺を散策しながら歩くとたくさんの羅漢にお目にかかれる
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千五百羅漢を拝見しながら日本最大の磨崖仏に 弘法大師の護摩窟

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大黒堂 昭和14年の大火によって焼失された後、復興計画の元平成17年に再建されました
    弘法大師の彫られたと言い伝えられている大黒尊天が祀られています。
    (御前立は現代の名工渡辺貞光作)
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たどり着いた日本一の大仏さま。 背後の峰を抱え込むようにどっしりと鎮座する。
            総工        御丈
鋸山日本寺の大仏  31.05m     21.3m
奈良東大寺の大仏  18.18m     14.85m
鎌倉光徳院の大仏  13.350m    11.312m
上の表でわかるように日本寺の大仏は東大寺の大仏の1.7倍にあたります。
廻りの人と比べてみても人物が小さくいかに大きいかがわかります。
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    薬師本殿(医王殿)
飛行機の上より眺めていた東京湾アクアライン上にある海上パーキングエリア海ほたるに
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  千葉側からの入口向こうに見えるは東京・横浜方面
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川崎側のトンネル中央部にある風の塔はトンネル内の換気口という重要な役割を坦っている


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海ほたる展望デッキからの東京湾の大パノラマ
中央に見える丸いのこぎり状の物は海底トンネルの掘削に使用したカッターフェイスのモニュメント
夜にライトアップされる
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デッキの床・横は木製で船の雰囲気

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地球儀や船蛇のモニュメント
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千葉側は橋になっており木更津へ一直線に道路が延びる
ここより羽田空港にそして21時30分無事に岡山空港に着き23時帰宅


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# by star-land9 | 2017-10-11 14:55 |
絶景8 鋸山・地獄のぞき・日本寺(日本一大きな大仏と富士山を眺望する断崖絶壁の「地獄のぞき」)
大小さまざまな石仏と奇観・絶景があっちこっちに。
約1300年前に聖武天皇の詔勅を受けて行基が開山した、関東最古の勅願所。地獄のぞき、を含む
鋸山の広大な山域が日本寺という寺院の境内になっている。
本尊の薬師瑠璃光如来は日本三薬師のひとつ。
標高329mの鋸山。広さ約33万㎡に及ぶ日本寺の境内が広がる。自然豊かな参道には2639段の石段が
連なり、途中に点在する巨大な観音像や大仏、千五百羅漢、切り立った絶壁が生み出す奇観、展望台から
望む東京湾や伊豆半島など関東一円を見晴らす絶景は感動。でもスリルたっぷりドキドキです。
木更津名工・大野甚五郎英令(ひでのり)とその門弟27名により3年の歳月をかけて彫られた
江戸時代の天明3(1783)年に完成「日本寺大仏」。

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先ず百尺観音 昭和41年5月に6年の歳月をかけて完成した巨大な観音石像、
岩壁には水平方向のラインが刻まれている。これは「房州石」という建築に使った石材の
採石場跡地で石材を切り出すときについた跡です。
山の岩肌に彫られた、高さ30.3m(百尺)の観音石像。
交通安全の守り本尊として信仰されている。
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上の写真 切り立った高さ100mの絶壁から突き出た端にある展望台。
山林がはるか下に見えて、スリルたっぷりの展望台、しかし空中に突き出した展望台の先端は
狭いので一度に2名ずつしか入る事が出来ず並んで待っています。
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上の写真は 鋸山山頂地獄のぞきからの景色を満喫、足がすくみそうなスリル満点の展望台には
長い列天気の良い日には東京湾、伊豆半島、富士山。南側には南房総の美しい
山並みと海(↑の写真)
      千五百羅漢道を散策しながら大仏広場へ
      日本寺境内の見所のひとつが山の中腹から頂上付近にかけてのいくつかの岩窟に
まつられている「千五百羅漢」と呼ばれる石仏群。これらの像も大仏を彫った
      大野甚五郎と門弟27名が21年にわたって彫りその数は1553体にものぼるそうです。
      表情や身にまとっている衣など一体として同じものがなく、喜怒哀楽を表現
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# by star-land9 | 2017-10-10 21:18 |
絶景7大山千枚田 (日本で唯一の天水田)
鴨川の中山間に位置し房総半島のほぼ真ん中にあり東京から一番近い棚田として知られている。
平野の田んぼと違って耕地整理が遅れたことから、この美しい棚田を現代に残すことになった。
日本で唯一雨水のみで耕作を行っている天水田。棚田は多面的機能を持っていて、これを守る事が
洪水などの災害を防止したり貴重な生態系や環境の保全になります。日本棚田百選。
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浜金谷に昼食 ここ港は横浜久里浜から東京湾を横断千葉県冨津市金谷までを40分で結ぶフェリー
下の写真は房総を望む絶景の船旅東京湾フェリー
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海の幸の食事をすませて日本寺に


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# by star-land9 | 2017-10-09 16:47 |
絶景6赤山地下壕跡に(神秘の洞窟)
房総半島最南部の丘陵は、新生代第三紀という比較的新しい年代(とはいっても、およそ2400万年前より
新しい地層ですが)の凝灰岩質の砂岩や泥岩など、やわらかい地層が重なりあい形成されています。
館山市内の主な戦争遺跡
幕末(江戸時代の終りの頃)から、太平洋戦争が終わった1945(昭和20)年まで、東京湾の入口に
ある館山は国の中心である(江戸)を守るための重要な場所でした。そのため館山には、大砲跡や
海軍航空隊などの戦争遺跡が、今でも数多く残っています。
赤山地下壕跡は合計した長さが約1,6㎞と全国的にみても大きな壕で、館山市を代表する戦争遺跡の
一つです。いつ頃つくられたかははっきりとした資料がほとんどないためわからないようですが
このように大きな地下壕が1941(昭和16)年の太平洋戦争の前につくられた例はなく、当時の
軍部が本格的に防空壕をつくりはじめたのは、1942(昭和17)年より後であることが、他地域の
壕の建設時期からわかります。アメリカ軍の空襲が激しくなった太平洋戦争の終りの頃、この赤山地下壕の
一部が、館山海軍航空隊の防空壕として使われていたことは、壕内にある発電所跡や終戦間際に、この壕の
中で実際に館山海軍航空隊の事務をおこなったという体験や、病室や電信室があったなどの
証言からうかがい知ることができます。
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# by star-land9 | 2017-10-08 21:39 |

30日2日目 8時出発
絶景5 野島崎(房総半島最南端・朝日と夕陽の見える岬)
野崎公園の中にある灯台で展望台からは白浜の海を一望できる。岬の遊歩道では快よい潮風に当たり
ながらの散策と磯遊び。灯台は千葉県房総半島の最南端野崎に立つ。白亜の八角形をした大型灯台で
日本でも最も古い洋式灯台のひとつ。最上部では広大な太平洋が一望できる。
「日本の灯台50選」に国の登録有形文化財にも登録されている。
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房総半島最南端の灯台で関東大震災により倒壊しその後再建されたのが現在の灯台。入口から階段は
時計回り70段360度途中までは螺旋式階段で、最後は急になってた、
でも条件が良ければ90㎞先の三宅島、
190㎞先の八丈島も見えます。素晴らしい景色で登ったかいがありました。
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上3枚の写真は野崎灯台よりの眺め上に1写真この位置が最南端のようです。
真ん中写真は立ち並ぶ白浜のホテル
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野島崎公園の房総半島最南端の石碑
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大蛸の廻りには鮑やサザエを配し特に中央の大鮑の殻の中に願いを掛けた賽銭を投げて見事貝の中に
入れば開運間違いなしとの事、なぜならば貝運は開運への如し。史実でもあると云われている、
この地で武運再興を願い掛けている時突然の時雨に近くの岩屋に身を寄せ
雨を凌いだこの岩屋を「頼朝公の隠れ岩」と称しこの場所に深海を棲む創造の大蛸の海神を祀った深海は
海面を鎮め豊漁を授けそして人々に幸をもたらす事であろう。
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# by star-land9 | 2017-10-07 20:17 |