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故宮その3
乾隆花園(ガンロンホアユエン)
  
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万春亭 明代嘉靖15年(1536)に改築された。こちらは清代には護国神の
関羽神像を祭っていた。
  
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真武門の南側内延の最北部。(紫禁城の最北部)にある中国式庭園「御花園」。
御景亭 重陽の節句に皇帝や皇后が昇殿した建物と言われています。
乾隆帝の趣味のよさを窺わせる庭園。長さ160m幅37mという細長い空間に
踏み込むにつれ、次第に趣が変わる構成がすばらしい。
  
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内延に入るとこのような細かく路地と建物が入り組んでいた。
故宮には部屋がいくつあるか
 俗説では9999間と半間あることになっている。
 それは、天上の天宮は1万間だから人間の皇帝は天宮と同じでは
 おそれ多いので、それより半間少ないようにしたというもの。
 史料によれば清朝では約9000間だが、1955年の調査によると8662間である。
 
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前門から景山公園万春亭を眺める。 景山は人口の築山だ。
面積23万50㎡の公園。公園の南の景山は高さ43m(海抜108m9の丘
頂上に建てられた万春亭からの眺めは、故宮全景を見下ろし、北京市の四方を
一望でき、まさに北京一の眺望を誇る。明清代の北京城内での最高点だそうだ。
この広い故宮を午前中見学しました。
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by star-land9 | 2011-06-28 14:55 |
故宮2
  
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中和殿(ヂョンハーディエン) 太和殿に臨む皇帝が一休みする控えの間
太和殿とともに外朝の三宮殿を構成する中和殿。
太和殿のすぐ北側に建つ。太和殿で開催される各種大典に臨席する
皇帝が、出座の前までここで休んでいた。軒先には魔除けの仙人を先頭に
走獣が並んで飾られている。屋根の頂上の丸い珠は皇帝の象徴。
ここが皇帝ゆかりの場であることを示している。
  
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中和殿の宝座 明代永楽18(1420)年に創建され、3度火事に遭い、
正統6(1441)年に再建。天壇、地壇、先農壇、社稷壇での祭祀の際には、
この場所で祝詞や農具を閲見した。10年に一度、編纂された玉牒という
皇室系譜を皇帝が審閲する時の儀式もここで行われた。
  
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魔除けの屋根かざり。 皇帝を示す9の数だけいる神獣。拡大の屋根飾りは向の屋根(数は格が
高いほど多い。)
  
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保和殿(バオハーディエン) 保和殿は中和殿の北側.科挙の最終試験「殿試」が行実施された。
科挙とは、随代に始まる官吏の採用試験。清代には、毎年正月に蒙古・新疆の王侯を招いた
宴会を行った。この宴会をはじめ、皇帝主宰の宴会がしばしばここ保和殿で催された。
太和殿と並ぶ大きさですが、明代には皇帝が着替えするための宮殿だったそう。
着替えの場でこのスケールとは(贅沢すぎる・・・・とか説明)
  
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保和殿の宝座  宝座前の6本の柱を省いた減柱法という建築方式で
広い空間を造り出している。



  
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by star-land9 | 2011-06-28 14:43 |
天安門の奥は壮麗な建築群が幾重にも広がる
故宮博物院
中華帝国の中枢部、紫禁城 とよばれる建築群全体が
歴史的鑑賞物だということだ。元、明、清の三代の
王朝の皇居跡。南北961m、東西752m72万㎡という
広大な敷地内に数多くの建物が建ち並んでいる。
建物は左右対照に整然と並び、明代の創建当時の
構造を残す。
  
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瑞門(ドウアンメン)
天安門を登って 故宮までの間に端門という門があり、
これをくぐると、正門(中央の3人は人形)天安門は登るが、
此処はすどおりする、ここも登って見晴がいいですよ!との・・・
案内の為だそうです。
  
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午門(ウーメン) 故宮の正面入口で子午の方向に
あることから午門と呼ばれている。紫禁城最大の門で、5つの宗楼が
立つことから五鳳楼ともいう。
  
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太和殿(タイハーディエン) 故宮で最も重要な中心的な堂々たる外観の建物。黄色の瓦で葺かれた
屋根の建物が多く建ち並ぶ故宮で国家儀式の中でも特に大切な皇室大典の舞台となった。
  
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故宮は大きく外朝と内延に分かれる。 外朝は午門より順に太和門,太和殿、中和殿、
保和殿を主体にした区域で、東の文華殿と西の武英殿を含み、皇帝が大典などを
行う重要な場所
  
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太和殿内には玉座であるきらびやかな宝座がある。
故宮内の建物のいくつかに宝座はあるが、太和殿の
ものが最も格式が高く重要なもの
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by star-land9 | 2011-06-28 14:22 |
5月30日
ホテル朝食後7時30分出発 北京市内観光。
  
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毛沢東の肖像画が掲げられた天安門
  
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国旗掲揚台(グオチージエヤンタイ)
広場の北側には国旗掲揚台。中国の国旗で五星紅旗が風に翻える。
  
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常時、衛兵が見張り台に5時間微動だにせず立っているそうです。
  
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北京の中心は、中国の顔ともいうべき天安門広場。面積40万㎡の
世界で最も広い広場のひとつで、50万人を収容できる大集会場にもなる。
  
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前の大きな碑は 人民英雄記念碑(レンミンインシオンジーニエンベイ)
天安門広場の中央にそびえる高さ38mのオベリスクで、石は
青島産。新中国成立のために戦い殉死した人々を追悼する記念碑である。
1958年4月に完成した。正面の文字「人民英雄永垂不朽」は毛沢東、
裏の文字は周恩来の筆による。台座の4面には阿片戦争以来100年以上に
わたる革命の歴史を描いたレリーフがある。
その横にある建物は中国国立博物館(ヂョングオグオリーグアン)
天安門広場の東側にあり、1959年に建造。
  
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毛沢席記念堂(マオヂューシージーニエンタン)
中華人民共和国の創立者といっても過言ではない毛沢東の陵墓。
  
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人民大会堂(レンミンダーホイタン)
天安門広場の西側にある会議場で、日本の国会議事堂に相当する。
建物は1959年9月に落成した。南北336m、東西206m、高さ46.5m
正面南北にわたって18本の大円柱が並ぶ。正面玄関の上方に
中国国章(周囲:穀物の穂と歯車が囲む。中:5つの星が天安門を
照らす図柄)がかけられている。内部には1万人を収容できる
「万人礼堂」(礼堂とは会議場を指す)があり、ここでは最高国家権力機関である
全国人民代表大会のほか、党や政府の重要な会議が開かれる。
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by star-land9 | 2011-06-25 23:25 |
夕食をすませて、中国雑技鑑賞
ハラハラ、ドキドキの技に息を呑む雑技。
サーカス的な曲芸を「雑技」と呼ぶ。身体の柔らかさや運動神経は、
人間業とは思えない。

  
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by star-land9 | 2011-06-25 23:07 |
昼食に飲茶料理をいただき、いよいよ万里の長城に
  
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バスよりおり万里の長城登り口に
  
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北方民族の侵入を防ぐ、長大な建造物。
万里の長城は2500年前に、周が匈奴の侵入を防ぐため城壁を建造したのが
始まりとされる。紀元前221年、中国を統一した秦の始皇帝が、30万の工兵と
農奴数百万人を駆り立てて、北方の燕や趙の長城を連結するとともに、西方にも
延長した。東は渤海に臨む河北省の山海関から、西は甘肅省の嘉峪関まで
総延長6350㎞にも及ぶ。初期の長城は土をつき固めた比較的簡単なもので、
いわば土塁の連続に過ぎず、風化され朽ち果てているものが多い。
歴代王朝で最も長い長城を築いたのは前漢。一方明代の後期になって
改めて築かれた長城は、大ぶりな煉瓦で表層を覆い、修復をくり返したため
最も堅固な部分が断続的に現存している。
写真はすぐに急坂(日本人は男坂と呼ぶ)があるが、4つ目の城楼まで上がると
西方の山々を長城がうねうねと続く様が見える。
  
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八達嶺 6世紀に創建された八達嶺は、北京市北部
約70㎞の延慶県にある。燕山山脈の要衝、軍都山に
築かれた長城はで、北京近郊で最も早く修復された。
こちらの写真は(日本人は女坂と呼ぶ)ふたつ目の
城楼までは緩く、いわゆる女坂だが、それ以後は
急になる。私達はこちらを登った。
  
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南四楼 石とレンガで造られた強固なもの。
長城の上には一定の距離をおいて、城楼がある。その一つ。
たいてい2階建てで1階はここに詰めている兵士たちの住居
2階は見張り台と戦闘台である。
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by star-land9 | 2011-06-24 15:14 |
明の十三陵へ
天寿山麓に広がる面積約40K㎡の陵墓地域。
  明の第三代皇帝永楽帝がこの地を陵墓に定め、造営をしたのが
  第一号。以来,明末の崇禎帝まで13人の皇帝の陵が造営され、
  ここに葬られている。そのため明の十三陵の名がある。
  
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  定陵 万暦帝と孝端、孝靖の2人の皇后が合葬されている。
  万暦帝21歳の時、1584年から6年の歳月をかけて造営された。
  
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地下宮殿入口(古墳)
  
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定陵地下宮殿配殿 定陵の地下27m所には、面積1195㎡の地下宮殿。
陵墓地帯へは石碑坊、大宮門、碑帝、参道の神路を経て向かう。
永楽帝と皇后の眠る長陵、万暦帝と2人の皇后の眠る定陵が公開されている。
  
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皇帝、皇后の宝座の複製が展示されている。
床、壁面から天井に至るまで大理石が寸毫の隙間もなく積み上げられている。
天井は見事なアーチを描き、贅沢な定陵の建設が後年,
明の財政を破綻させたともいわれる。
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by star-land9 | 2011-06-24 15:00 |
オリンピックのメインスタジアムへ
  
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いまだ感動さめやまらない北京オリンピック2008年夏、数々の
ドラマを繰り広げうれしいメインの会場「鳥の巣」や水泳競技会場
「水立方」など感動の舞台。
  
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右上の鉄塔 オリンピックマークかすかに
  
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鳥の巣のそばにオリンピックホテル  めったにない7つ星とか・・・・
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by star-land9 | 2011-06-24 14:46 |
頤和園続き2
  
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長廊ギャラリー 花鳥風月、名所、名著の場面などが題材で同じものは一つもない。
  
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長廊 雨風を防ぐ回廊、カラフルな絵
楽寿堂と清晏舫(せいあんほう)の間には、長い屋根付きの回廊が造られている。
これを長廊と呼ぶ。雨降りや降雪など悪天候の時でも、雨風にさらされずに周囲の
風景を楽しめるように建造されたもの。全長は728m、273間に約8000以上の
絵画が描かれ花鳥風月や、歴史、古典の名場面ギャラリーになっている。
世界最長の色絵付き回廊として、ギネスブックにも記録されている。
この写真は天井です。
  
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宣芸門をくぐって、宣芸館(イーイーグアン)
光緒帝の皇后、隆裕の居住の地。隆裕は姓は那拉で、西太后の姪にあたる。
西太后は光緒帝を政治上支配するため、彼女を皇后に選んだ。宣芸館と宝瀾堂は
通じていたが、戊戍政変以後、光緒帝軟禁のため隔絶された。
  
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園内最高峰の高さ60mの万寿山には仏香閣がそびえる。手前には杭州の名勝、
西湖を模した昆明湖が広がる。池の水と小山の緑の風景は園のシンボル。
仏香閣(フォーシアングー)  拝雲殿の両側から徳輝殿まで続く廊下は爬山廊と
呼ばれており、徳輝殿の裏門を出てさらに114段の石段を上がると、仏香閣にたどり着く。
仏香閣は高さ20mの石基台上に建つ、高さ41m、八角形の木造3階建ての塔で、
頤和園のシンボルである。仏香閣の四方を取り囲む廊下は、昆明湖と万寿山前山の
景色を俯瞰でき、ここからの景観はすばらしい。
  
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昆明湖 水路を使っての時にはここに
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by star-land9 | 2011-06-20 13:52 |
5月29日午前中
ホテルにて朝食をすませ、7時30分出発
世界遺産 頤和園(いわえん、イーハーユエン)
万寿山と昆明湖からなる中国の典型的庭園で、
面積290ヘクタールだが、そのうち水面が4分の3を
しめている。
手塩にかけて再建,西太后が愛した離宮。
金代の12世紀中頃、皇帝の離宮として造営されたのが
始まり。乾隆15年(1750年)乾隆帝が大改修をしたが、
1860年の第2次アヘン戦争の時、英仏連合軍に焼き払われて
しまった。1888年西太后は海軍の軍費3000万両を注ぎ込んで
再建、現在の姿となった。園内には贅を尽くした絢爛豪華な建物が
数多く造られ、池や小山なども配されている。特に晩年には、執務と
自由時間を楽しむため長期間をここで過ごしたことで知られている。
  
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東宮門(とうぐうもん、ドンゴンメン)
頤和園の正門。中央の軒下には、九龍で囲まれた扁額がかかるが、
「頤和園」の文字は光緒帝の直筆で、門の両脇は銅製の獅子像
  
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門をくぐった正面にある牌楼式の門 仁寿門
正面の東宮門から仁寿門、仁寿殿と一直線に並ぶ美しい皇室建築。
  
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仁寿殿 故宮の太和殿に当たる園内の政治の中枢。
皇帝や西太后はここで政務を執った。外国使節との接見場所
としても用いられた。殿内中央には、皇帝の持つ権力の偉大さ
神聖さを象徴する9匹の龍が彫刻された玉座がある。
  
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楽寿堂 (らくじゅどう。ラーショウタン)
 四合院建築の建物で、正門は「水木自親」と呼ばれている。
 中国庭園最大の(青芝岫」という大きな石が置いてある。
この石は明代の役人が北京近郊の山で見つけて持ち帰ろうとしたが、
費用がかさんで途中で放置した。それを乾隆帝が北京に運ぶように
命じたもの。中国庭園に飾られているものでは最大の大きさを誇る。
建物の前には銅製の壺、鹿、コウノトリ、蝙蝠などが置かれており、
世界平和を象徴している。特に鹿は富と長寿のシンボル。
 
 
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by star-land9 | 2011-06-20 11:24 |