昨日14日 バレンタインデーチョコレートが届きました。
                 私もニッコリとお相伴に
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# by star-land9 | 2019-02-15 11:14 | 行事

2019年1月 平成最後の年忙しく帰省・行事を次々にこなしている内に
1月が去りました。暮れに毎年行事の家族での忘年会・そして
年越しそばをすませて村の氏神様に除夜の鐘と共に総出でお参りしてきました。
道のりは次々につづいてのお参りでした。
1月1日
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   趣味の多いい皆様よりの干支のきめ込み色紙・羽子板・季節のお花の色紙・手作りカレンダー
   もいただきニギワッテいます。
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              先ずはお屠蘇で乾杯デザートでお年玉
         七草がゆをすませて、お鏡おろし神社でどんど焼き、庭師さんの剪定
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              ばたばたしてるうちに1月が去りました。
2月3日

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節分・いわし、お巻きの丸かじり、ピーナッツと豆大福で悪払い

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2月11日おもい掛けなく目覚めると雪の朝
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雪どけ後にも季節のお花












# by star-land9 | 2019-02-15 10:50 | 行事
名古屋城本丸御殿続き
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   細かな装飾のすごさ、天井と鴨居、欄間の部分にあしらう装飾、立体的な欄間の鳥の飾りの
   緻密さ、釘隠し、ふすまの引手の装飾等々すべてにこっている
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      最近できた金シャチに最後によって新幹線17時33分発にて無事に帰宅しました。

# by star-land9 | 2019-01-14 22:07 |
名古屋城本丸御殿
2018年6月8日10年に及ぶ復元工事を経てついに完成を迎えた名古屋城本丸御殿見学
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            2018年6月8日完成公開を迎えた「名古屋城本丸御殿」
絵画 壁やふすまなどに描かれた障壁画は狩野派の絵師の作品であり、これらは戦時中空襲に備えて疎開させていた
1049画もの実物の絵画をもとに復元模写したものです。
当地の技法や素材を分析し描かれた当初の色彩を再現。
鮮やかな色彩にて蘇っています。また題材が入口から奥にかけて「走獣」→「花鳥」→「人物」→「山水」
へと変っていく点や、色鮮やかな作品が奥に行くにつれて徐々に落ち着いた水墨画になっていく点にも注目。
当時の格式や価値観が見てとれるでしょう。
竹林豹虎図(玄関一之間東側襖絵)
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       将軍などの来客がまず通される場所。ここから御殿の奥へと続く大廊下があります。
       襖の壁には勇猛な虎が描かれた「竹林豹虎図」

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  表書院    藩主が来客との公的な謁見の際に使用。花鳥の描かれた障壁画が囲む空間の奥には
         床が一段高くなっている「上段之間」がありここが藩主の座だったとされています。
         
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  対面所     藩主の身内や家臣などよりプライベートな来客との対面や宴席などに使用
          表書院に比べて組天井や華やかなイメージの欄間などより豪華な内装になっています
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  梅之間     将軍をもてなす上級家臣たちの控え場所であったとされている広間
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  上洛殿      本丸御殿の中でもっとも格式高い場所で1634年の三代将軍家光の
           上洛の際、宿泊場所として増築されました。
           家光の座であった「上段之間」のほか「一之間」「二之間」「三之間」
          「松之間」「納戸之間」に分かれており、襖絵や天井絵、欄間にあしらわれた
           豪華な彫刻、飾り金具など贅の限りを尽くした黄金の空間です。

# by star-land9 | 2019-01-14 22:06 |
いよいよ最後の観光地名古屋城・本丸御殿に。
名古屋城の生い立ち
関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、慶長14年(1609)豊臣方への備えとして名古屋城の築城と、
清須から新城下への街まるごとの引越しを決定。
この新たに造られた碁盤割の街が現在の名古屋の原型となり、
町や橋の名前も受け継がれています。慶長15年(1610)名古屋城築城にあたって徳川家康は、
加藤清正・福島正則ら西国大名20家に普請(土木工事)を命じました。これを天下普請といいます。
天守や櫓の作事(建築工事)は小堀遠州・中井正清らに命じられ、慶長17年(1612)
にほぼ完成しました。
尾張初代藩主として家康九男の義直が入り、以降名古屋城は御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄えました。
現在の天守閣
名古屋城は昭和5年(1930)、城郭建築における初めての国宝に指定されましたが、
昭和20年(1945)の名古屋空襲により本丸のほとんどを焼失しましたが名古屋のシンボルとして
天守の再建を望む声が高まり、昭和34年(1959)ついに天守が再建されました。
再建された鉄骨鉄筋コンクリート造の天守は、その外観は昭和実測図に基づき正確に再現されましたが、
内部は焼失を免れた本丸御殿障壁画(重要文化財)や武具や絵画を展示し、
名古屋城の歴史を市民に紹介する博物館としての機能を果たしました。
耐震性が低いことに対応するため天守閣を閉館しました。
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名古屋城東南隅櫓   名古屋城に現存する三つの隅櫓(東南、西南、西北)の一つで、
           重要文化財に指定されている
           東南隅櫓は本丸の南東隅に位置し、天守(戦災焼失)とほぼ同時期、
           慶長17年(1612) ごろに建てられた。江戸時代には「辰巳櫓」
           と呼ばれていた。東西約11,6m、南北約13,6m、高さ約13、5mと
           大規模である。一重目の屋根を付けていないため、
           外観は二重櫓に見えるが、内部は三階櫓である。この形式の櫓は非常に珍しい。
           屋根は入母屋造、本瓦葺きで、鬼瓦などには徳川家の家紋である「葵紋」が
           見られる。
           2階東面と南面には千鳥破風(三角形の小型の屋根)と石落しが設けられている。
           3階東側の 屋根には、高級な意匠である軒唐破風
           (屋根が丸く反った曲線状の破風)が入る。
           『金城温古録』(江戸時代後期に編さんされた、名古屋城の記録集成)によると、
           御具足奉行(櫓に収納された甲冑の管理責任者)の役所として使用されていたが、
           火を使うことができず 寒さが厳しかったため、天保12年(1841)に
           大手馬出内へ移動した。
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表二之門   本丸南側にあり、鉄板張りとし用材は木割りが太く堅固に造られています。袖塀は土塀で
       鉄砲狭間を開いています。写真の右後ろの櫓は
東南隅櫓   本丸の南東隅にある屋根二重・内部三階の櫓。
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 東南隅櫓(辰巳櫓)   
      ここ出窓には「石落とし」が設けられています。かつては武具が納められていました。
      春、秋に内部の特別公開があり見学しました。
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               上の写真は東南隅櫓を見学し窓より写す
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                     西南隅櫓と大天守
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金のシャチ 鯱は空想上の生き物で、水を呼ぶと言われることから火除けのまじないとされてきました。
      名古屋城の創建時の金鯱は徳川家の権力・財力を誇るもので、貼られた金の量は慶長大判で
      1940枚といわれています。



# by star-land9 | 2019-01-14 22:05 |