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名古屋城本丸御殿続き
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   細かな装飾のすごさ、天井と鴨居、欄間の部分にあしらう装飾、立体的な欄間の鳥の飾りの
   緻密さ、釘隠し、ふすまの引手の装飾等々すべてにこっている
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      最近できた金シャチに最後によって新幹線17時33分発にて無事に帰宅しました。

by star-land9 | 2019-01-14 22:07 |
名古屋城本丸御殿
2018年6月8日10年に及ぶ復元工事を経てついに完成を迎えた名古屋城本丸御殿見学
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            2018年6月8日完成公開を迎えた「名古屋城本丸御殿」
絵画 壁やふすまなどに描かれた障壁画は狩野派の絵師の作品であり、これらは戦時中空襲に備えて疎開させていた
1049画もの実物の絵画をもとに復元模写したものです。
当地の技法や素材を分析し描かれた当初の色彩を再現。
鮮やかな色彩にて蘇っています。また題材が入口から奥にかけて「走獣」→「花鳥」→「人物」→「山水」
へと変っていく点や、色鮮やかな作品が奥に行くにつれて徐々に落ち着いた水墨画になっていく点にも注目。
当時の格式や価値観が見てとれるでしょう。
竹林豹虎図(玄関一之間東側襖絵)
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       将軍などの来客がまず通される場所。ここから御殿の奥へと続く大廊下があります。
       襖の壁には勇猛な虎が描かれた「竹林豹虎図」

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  表書院    藩主が来客との公的な謁見の際に使用。花鳥の描かれた障壁画が囲む空間の奥には
         床が一段高くなっている「上段之間」がありここが藩主の座だったとされています。
         
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  対面所     藩主の身内や家臣などよりプライベートな来客との対面や宴席などに使用
          表書院に比べて組天井や華やかなイメージの欄間などより豪華な内装になっています
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  梅之間     将軍をもてなす上級家臣たちの控え場所であったとされている広間
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  上洛殿      本丸御殿の中でもっとも格式高い場所で1634年の三代将軍家光の
           上洛の際、宿泊場所として増築されました。
           家光の座であった「上段之間」のほか「一之間」「二之間」「三之間」
          「松之間」「納戸之間」に分かれており、襖絵や天井絵、欄間にあしらわれた
           豪華な彫刻、飾り金具など贅の限りを尽くした黄金の空間です。

by star-land9 | 2019-01-14 22:06 |
いよいよ最後の観光地名古屋城・本丸御殿に。
名古屋城の生い立ち
関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、慶長14年(1609)豊臣方への備えとして名古屋城の築城と、
清須から新城下への街まるごとの引越しを決定。
この新たに造られた碁盤割の街が現在の名古屋の原型となり、
町や橋の名前も受け継がれています。慶長15年(1610)名古屋城築城にあたって徳川家康は、
加藤清正・福島正則ら西国大名20家に普請(土木工事)を命じました。これを天下普請といいます。
天守や櫓の作事(建築工事)は小堀遠州・中井正清らに命じられ、慶長17年(1612)
にほぼ完成しました。
尾張初代藩主として家康九男の義直が入り、以降名古屋城は御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄えました。
現在の天守閣
名古屋城は昭和5年(1930)、城郭建築における初めての国宝に指定されましたが、
昭和20年(1945)の名古屋空襲により本丸のほとんどを焼失しましたが名古屋のシンボルとして
天守の再建を望む声が高まり、昭和34年(1959)ついに天守が再建されました。
再建された鉄骨鉄筋コンクリート造の天守は、その外観は昭和実測図に基づき正確に再現されましたが、
内部は焼失を免れた本丸御殿障壁画(重要文化財)や武具や絵画を展示し、
名古屋城の歴史を市民に紹介する博物館としての機能を果たしました。
耐震性が低いことに対応するため天守閣を閉館しました。
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名古屋城東南隅櫓   名古屋城に現存する三つの隅櫓(東南、西南、西北)の一つで、
           重要文化財に指定されている
           東南隅櫓は本丸の南東隅に位置し、天守(戦災焼失)とほぼ同時期、
           慶長17年(1612) ごろに建てられた。江戸時代には「辰巳櫓」
           と呼ばれていた。東西約11,6m、南北約13,6m、高さ約13、5mと
           大規模である。一重目の屋根を付けていないため、
           外観は二重櫓に見えるが、内部は三階櫓である。この形式の櫓は非常に珍しい。
           屋根は入母屋造、本瓦葺きで、鬼瓦などには徳川家の家紋である「葵紋」が
           見られる。
           2階東面と南面には千鳥破風(三角形の小型の屋根)と石落しが設けられている。
           3階東側の 屋根には、高級な意匠である軒唐破風
           (屋根が丸く反った曲線状の破風)が入る。
           『金城温古録』(江戸時代後期に編さんされた、名古屋城の記録集成)によると、
           御具足奉行(櫓に収納された甲冑の管理責任者)の役所として使用されていたが、
           火を使うことができず 寒さが厳しかったため、天保12年(1841)に
           大手馬出内へ移動した。
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表二之門   本丸南側にあり、鉄板張りとし用材は木割りが太く堅固に造られています。袖塀は土塀で
       鉄砲狭間を開いています。写真の右後ろの櫓は
東南隅櫓   本丸の南東隅にある屋根二重・内部三階の櫓。
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 東南隅櫓(辰巳櫓)   
      ここ出窓には「石落とし」が設けられています。かつては武具が納められていました。
      春、秋に内部の特別公開があり見学しました。
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               上の写真は東南隅櫓を見学し窓より写す
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                     西南隅櫓と大天守
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金のシャチ 鯱は空想上の生き物で、水を呼ぶと言われることから火除けのまじないとされてきました。
      名古屋城の創建時の金鯱は徳川家の権力・財力を誇るもので、貼られた金の量は慶長大判で
      1940枚といわれています。



by star-land9 | 2019-01-14 22:05 |
鳳来寺お参り後昼食に昭和元年創業90余年続く老舗料亭「おぎ乃」にて愛知名物「ひつまぶし」を賞味
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             1杯目は秘伝だれの味そのままで 2杯目は薬味を加え頂きました。
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             3杯目はおだしをかけてお茶漬け風でさらさらとさすがに老舗の味
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次に名古屋八丁味噌カクキュ見学
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  今川義元の家臣であった早川新六郎勝久は桶狭間の戦いで今川が敗れた後岡崎の寺へと逃れ、武士をやめ、
  名を久右衛門と改めました。久右衛門は寺で味噌造りを学び、数代の後、現在の場所である
  岡崎市八帖町へと移り1645年に業として八丁味噌を造りはじめました。その後現在まで場所を
  変えることなく伝統製法で造る味噌を守り続けています。味噌造り一筋に十九代。
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     八丁味噌の香りが染み込んだ歴史ある土蔵と永年使い込んだ大きな木桶。この中で八丁味噌は、
     その独特の風味を醸し出すまでの間天然醸造でゆっくりと熟成していきます。
     石積みの技 木桶の上に積まれた重石は約3トン。職人の手によって形の異なる重石が均等に
     圧力が加わるよう丁寧に積み上げられています。石積みには10年程の経験がひつようです。
     木桶は大事に扱い、常に使い続けることにより100年以上使うことができます。木桶には地域の
     微生物が定着し熟成が安定化します。

by star-land9 | 2019-01-14 22:04 |
千頭駅から新金谷駅まで約75分の大井川鐵道SLの旅をすませて昨日の浜名湖・三ケ日温泉に帰り
和会席を頂き温泉でゆっくりとし疲れを癒しました。
ホテル8時出発にて鳳来寺に
鳳来寺 紅葉や新緑も美しい真言宗の古刹大宝3年(703)、利修仙人により開山され、薬師信仰と
    山岳修験の霊場として信仰を集めてきた。本道まで1425段の石段が通じ、途中に国の重要文化財の
    仁王門が。近くに徳川家光が造営した東照宮もあり、日光東照宮にならった彫刻が美しい。
東照宮 国重要文化財 松平広忠の夫人伝通院於大の方が鳳来寺薬師如来に祈願して家康が生まれたと
    伝えられ、その因縁により3代将軍家光が造営したもので、日本の三東照宮の一つとなっています。
この門の正面に掲げられる「鳳来寺」の変額は光明皇后の筆によるものと伝承されています。
鳳来寺山東照宮 東照宮の本殿を始め、中門、透塀など6棟の建物が昭和28年に国重要文化財に指定されています。
    慶安元年(1648)に日光東照宮へ参詣した折に見た「東照社縁起」で家康と鳳来寺との関係を知った
    徳川家光は深く感銘を受けて、この地に東照宮を建立する決意をしました。慶安3年に工事に着手、
    翌年に完成しました。この際、東照宮の御神体である家康像は江戸城の紅葉山御殿から
    遷座したと伝えられています。
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東照宮

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               残念ながら台風の為木が折れここより先は通行止めでした
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元三大師堂跡
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                      鳳来寺本堂前より眺める

by star-land9 | 2019-01-14 22:03 |
赤いトロッコ列車に30分絶景を眺めながら千頭駅にここからSL列車に乗り換えです。
大井川沿いに昭和の面影を残す懐かしいSL列車が走ります。窓越しから眺める大自然風光明媚な景色を
楽しみ下さいと放送。
蒸気機関車SLが煙を上げ,蒸気を吐いて今も現役でシュポポポッ!と走る大井川鉄道。
旧国鉄時代の昔懐かしい客車に乗り込んで、レトロな列車旅をのんびり楽しもう!大井川のながれに添うように
走り幾度も鉄橋を渡る。SLを走らせながら保存する動態保存を日本で初めて行った大井川鐵道。
全長39.5㎞の大井川本線では、新金谷~千頭駅の約37㎞をSLが1日1往復,土・日曜、繁忙期には増発便も走る。
国鉄時代のままというレトロな客車で、タイムトラベル気分を満期できます。
茶畑を抜け森を抜け高度を上げながら走っていく、もともとダム建設の為に造られた井川線。
カーブとトンネルが多いい。湖が普段はエメラルドグリーンだそうですがこの度は台風のため濁り水。
大井川鐵道SL旅SL(蒸気機関車)が日常的に運行し、親子連れにも鉄道ファンにも人気が高いようです。
煙を吐いて走る姿は絵になる。SLガイドさんも乗り車両に合わせて面白おかしく漫談ありで車両のお客さんに
合わせた話をして盛り上げ笑いながらの旅です。大井川に沿って走るので各所説明を聞きながら楽しめました。

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by star-land9 | 2019-01-14 22:02 |
寸又峡を後にバスに乗り奥泉駅に
赤いトロッコ列車に乗り替え自然豊かな沿線の紅葉を眺めながら千頭まで
渓谷を進む南アルプス(大井川鐵道・井川線)あぷとライン。小さな赤い客車に乗り込めば、
渓谷をトコトコ走りながら飽きる事のない絶景を楽しむ。
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大井川を眺めながら赤いトロッコ列車の旅




by star-land9 | 2019-01-14 22:01 |
寸又峡続き
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                        夢のつり橋
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     飛龍橋  長さ72m・高さ70m足に自信のない人は吊り橋を渡らずに飛龍橋まで進むと
          吊り橋と渓谷が真下で眺められました。
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                         展望休憩所
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by star-land9 | 2019-01-14 22:00 |
20日
 昨晩は湖畔に佇むホテルにこの度は2連泊
夕食に浜名湖のウナギ、季節のカニ・・・などいただき温泉でゆっくりとして身体を癒し満足し眠りました。
今朝は浜名湖の朝日を楽しみに目覚めました。窓ごしとどんよりで美しく、はっきりとは・・・
                                                                     
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                     三ケ日みかんのミカンの畑
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川根の茶畑
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                      川根温泉足湯
ホテル朝7時出発にて大型バスでは入ることのできない秘境に。地元の路線バスに乗り換えるために早い出発。
寸又峡に
 寸又峡とは静岡県中部にあり大井川の支流寸又沿いの渓谷の名称です。
寸又川には多くのつり橋がありました。その一つが夢のつり橋です。つり橋は谷と谷とを結び、山の仕事などの
 作業道、集落への交通手段でもありました。
 
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  天子のトンネル 少々薄暗いトンネル。天子とは天命を受けてこの地を治める者の意味。
          このトンネルのある正面の山は昔から天子と呼ばれていたそうです。
          ここを吹き抜けてくる風は天子の鬼の風(龍神の風)と呼ばれる、冷たい風ですが
          無病息災のご利益があるそうです。冷たい風に鍛えられれば無病息災になるという
          落ちでしょうか?210mのトンネル、風が吹き抜けてきました、水がたまって歩き
          にくく、おしゃれなトンネルではありませんが脇からどうも下の湧き水が流れてきて
          飲めるので一休みしましょうと書いてありました。トンネルを抜けると夢のつり橋に
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   夢のつり橋 長さ90m高さ8mで一度に渡れる人数には制限があり、10名以上は待つ必要だと、足場は
         中央の板2枚分30cm程度の幅、しかしワイヤーの手すりがありましたがその外は紅葉や青葉で
         彩られた「大間ダム」や青い湖に架かる『夢の吊橋」の姿。揺れるとドキドキスリル満点、
         頑張って渡っていました・・・がトップアドバイザーの「死ぬまでに一度は渡りたい世界の
         徒吊橋」10にも選ばれ、今や世界的に有名。新緑と紅葉が大間ダム湖の深い水に影と映り
         また四季おりおりに変化と調和をもたらすところから「夢のつり橋」と呼ばれたそうです。
         このつり橋のまん中で、若い女性が恋の成熟を祈ると夢がかなえられるとも言わている
         そうですが今日の湖面は エメラルドグリーンだったでしょうか!



by star-land9 | 2019-01-14 21:58 |
香嵐渓を散策し山里のくらし三州足助屋敷(観光施設の正式名称)にたどり見学。
茅葺き屋根の母屋や土蔵、水車、井戸…などが残る足助の伝統的な農村風景を再現した観光施設。
敷地内では和紙の番傘や機織りをはじめ地元に根付いた11もの手仕事が見学できる。
屋敷精神 ここの手仕事は民芸でも伝統工芸でもない自分の生活に必要なものは自分でつくる健(したたか)な
山の生活が甦っただけなので。土から離れ手足を使わなくなった現在生活が慈しみを忘れいかに貧しいものか
考えてみたい場所のようでした。ここは昭和55年に開館した施設で生きた民俗資料館。かつての
豪農屋敷を再現
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楓門
部材の接合にはほぞ差し、壁は漆喰壁と昔ながらの技術を駆使した建造物です。
柱や梁、小屋材等の部材には杉・桧・松・栗等の国産材が使われています。
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井戸
水は生活にとって欠かせないものであり、それを汲み上げる井戸は大変高価で
重要視されていました。屋敷の井戸の深さは約8mありつるべを使って水を汲み上げます。
水汲み体験してみましたが重く、深く、少しの水しか汲めずでした。
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母屋
昭和30年代の豪農の母屋をモデルに再現。竹の骨組と茅葺き屋根の大きな建物の中では
囲炉裏やクド、お風呂など山里の暮らしを見る事が出来ました。
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氏神
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水車
かつては暮らしを支える大切な動力源であり、これを使って米や麦などを精米し、
木地師はろくろを回しました。明治以降は製糸・製材などにも使われていました。
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by star-land9 | 2019-01-14 21:57 |